2012年3月

Column

「さくら」

今から子育てしていく方もいらっしゃいますが、その子育ての現場、
そして私たちが生きているこの世の現場に、心貧しき人が多いと
当然私達の人生はみすぼらしくなります。
そして心豊かな人が多いと、子供の未来は安泰です。

社会というのは人と関わらないで生きていくことはできないので、
どれだけ素晴らしい人に自分自身が成長し、人々に貢献できるかと
いう要素は極めて高いハードルです。

人類がどうして進歩してこなかったのかと言うと実は人類が未だに
“共食い”をしているからです。
 
小説「ジェノサイト」でそのことを読み取って欲しい。

コンゴ・ソマリアで起こっていることは絵空事ではなく現実に
起こっている事です。戦争は共食いです。
私たちは共食いひとつクリアしていない。
みなさん、心を油断してはいけません。
 
では、文化とは何か?
獣から人間、人間から神という魂の進化の過程があるなら、
文化というのは獣から神の方向へ、できるだけ向けるのが文化力。 
 
神性に大衆を向けた文化が1番優れた文化です。
人間を獣からいかに離して、人間レベルから神のレベルに持っていく
ことが、その国の文化力のレベルであり、人間力=民度と言われる
国民のレベルだという事です。

日本の国の文化はユーラシア大陸でかつて一番すぐれた文化を
生み出したことがあるという歴史遺産です。

あまりにも優秀だったので戦後歪めさせられ、皆様の世代が
きちんと理解しなければ、この日本の文化遺産は永遠になくなって
しまいます。

これを次の世代に守り伝えていかないと、人類4000年の後戻りになる。
 
この事は、私が日本人だからとか、国粋主義で日本文化の事を
言っているのではなく、 日本は海が自然の要塞となり、他国から
侵害されずに済んだので優れた文化のみを取り込んで、その文化が
洗練されたという歴史を持っています。

だから、そのことを守り伝えていかないと、あなたの人生もpoorになり、
あなたの生み出した子孫も共食いの中に投げ出される事になる。
 
しかも、世界は支配がお金になる事を知っているから、
リーダーシップを山ほど学んでいる。

日本は、中途半端に歪めさせられたので、リーダーシップは一単元も
勉強していない国民。

その国民がこれから出会う人達の中でどう生きていくのかということ。

だからあなたの子々孫々もきちんと勉強し、自ら軌道修正をしていく
事が大事。だから、さくら会の意義があります。
 
皆さんは、日本の国に生まれ、和歌のある国なので自分の中に
ひとつくらい古代の歌が心に鳴り響いても良いのではないでしょうか?

日本はさくら、中国は梅、西洋はバラ。さくらも、梅も、バラもバラ科。
各文明によって花が違いますが、根っこは一つなのです。
梅の花が枯れた後は、花が木に汚く残り、バラは1輪でバラ!
 
-彼らは一輪咲きをしようという国民性-枯れると見苦しい。
 
しかし、日本の桜は、花の盛りにぱっと一瞬に散る。
いぎたなさを残さない。

生き様に花をもたせた文化を持っている。生き様をどれだけきれいに
するかが、日本人のDNAに入っています。
 
みなさまにふさわしい桜の歌を数種選びました。
 
●古今集 紀友則

「ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
                            百人一首
 
ひさかた・・・枕言葉、日の光が光っているの意。 
春は風光ると言われる様に、葉っぱがきらきらと町中が輝いている
春の日に、ひと時もじっとしてないでなぜ花は散ってしまうのだろうか。
潔さと同時に留めるものは何もない。
万物は全て形を変えるもの。という深いものを読んでいる歌。
 
百人一首で遊ぶ事は、子供の中に雅やかさを残してあげられる。
同じ物を壊してしまった出来事に対して、

「それいくらだと思ってるのか!!」

と言うのと、

「けがはなかったのか!!」

と言うのは大きく違う。
 
雅やかさを心の中に残してあげる事が大切。
お正月に百人一首を読んだ事がないという人は、
もっと自分の中に雅やかさを意識してください。

例えば「霧立ち上る秋の夕暮」は、意味が分からなくても、
子供には音としてきれいに残る。

平安時代は、ひとりも死刑を出していない。
皇居の東西南北の門全て全開。
正倉院は、和紙のこよりを鍵としていたが、誰も鍵を開けなかった。
そういう民族だったのです。
 
私の友人が、子宮筋腫で手術した時、ガンの疑いがあり、
死のシュミレーションをしたのです。

その時の友人が、「今年もさくらは見れるかしら?」と言った。
今年は今年のさくらでしかないのですから、どうぞどんなに
忙しく仕事をしていても、桜を見に行ってください。
 
●小野小町

「花の色は移りにけりないたづらに 
             我が身世にふる ながめせし間に」

百人一首の花は全て桜を指します。
現代語訳だと、桜の花の色はむなしく色あせてしまった。
春の長雨が降っている間に。となる。

この“ながめせし間に” と長雨がかかっている。
ちょうど私の美貌が衰えた様に、恋とか世間のもろもろの事を
思い悩んでいるうちにあっと言う間に美しい人も容色が衰えます。
 
女の人の容色が衰えていく悲しさは、この時しかないという
一瞬一生だという事もこの歌に歌われている。
 
自分の容姿や若さが衰えて行く時には色々な表現があるが、
この様な表現が“文化力”であり“雅やかさ”だと言えるのでは
ないでしょうか。
 
●伊勢大輔

「いにしへの 奈良の都の 八重桜 
              けふ九重に にほひぬるかな」

大昔に、奈良の都の八重桜が爛漫に咲いていました。
今日も宮中の中で、八重桜が春爛漫に咲いています。昔も桜が咲いていた。
そして今も爛漫に咲いています。春の恵みの喜びを歌った歌。
 
桜を見ながらこういう和歌が浮かんでくるのと、ただ桜を見るのと
では奥深さが違いますね。

それが文化力。子供に、百人一首のプレゼントは素敵です。
そして、お正月には、かるたとりで遊んでください。
子供はあっという間に、覚えます。
 
●西行法師

「願はくは 花のもとにて春死なむ
              その如月(きさらぎ)の望月の頃」

西行法師が自分の死を予感しての歌。

桜の花が爛漫に咲いている満月の桜の夜に、桜の花の元にて
私は死にたい。
色々な季節があるけれど桜が爛漫に咲く満月の夜に桜の元で
私はあの世に旅立ちたいと言って西行法師はその通りに亡くなられました。
 
●藤原俊成

「願いおきし花の下にて終わりけり 
              はちす(蓮)の上も違がはざるらん」

西行法師は、あれだけ桜の元で死にたいと言っていて、
そのとおりに亡くなった。

だから、西行様は極楽浄土の蓮のうてなの上にお生まれに
なっているのでしょう。男同士の素敵な送り方ですね。
 
●本居宣長

「敷島の やまとごころを人とはば
              朝日ににほふ やまざくら花 」

敷島―崇神天皇の宮が置かれた地。日本の古い名前。磯城と書いた。
日本の古い別称を敷島という。
日本の国の大和魂はどういうものですかと人に問われれば、
山の中でひっそりと美しく咲いている山桜の花のようですと答える。
 
●平忠度

「行きくれて木(こ)の下陰を宿とせば
                花ぞ今宵の主ならまし 」

えびら(矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器)に残されていた歌。
旅の道中日が暮れてしまって、桜の花の下を今夜の宿とするならば、
桜の花が主人としてもてなしてくれるであろう。

この歌は「青葉の笛」に歌われている尋常小学校で小学生が
青葉の笛をみんなで歌った。貧しくても、心の中には雅やかさを
植えつけていた。
この授業を小学生が受けるなんて、凄い人材の育成です。
 
「青葉の笛」
(一)
一の谷の 軍(いくさ)やぶれ
討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
 
(二)
更くる夜半に 門(かど)をたたき
わが師に託せし 言の葉あわれ
いまわの際まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵」のうた
 
(一)公達(若武者)。壇ノ浦の戦いで、騎馬で海に逃げようと
した敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が

「敵に後ろを見せるのか、お戻りなされ」

と呼び止める。

直実が兜を落とすと、わずか17歳の若者であった。
自分の子供ほどの若武者の首を切る事ができないと思った。 
しかし、若武者を生かしてもこの若武者に恥をかかせるだけなので、
直実が首を切った。
その後、直実は出家して誕生寺にて僧侶になり平敦盛を弔った。
    
(二)平忠度は歌人であり武将で、弓の名手であった。
師匠の藤原俊成の元に辞世の句を渡した。
逃げ延びるが、岡部六弥太に打ち取られた。
文武両道に秀でた忠度の死を敵も味方もなく悼んだ。
弓矢を入れるものを箙(えびら)と言うが、その中にまで桜が…
と歌を読んでいた。
 
●与謝野晶子 みだれ髪

「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき」
 
清水へ行こうと祇園を横切っていくと、その時のお月さまも桜も
とても美しい。私の心が浮き立っているせいかすれ違う人も美しい。

私は夜桜を見に行く時にこの歌を心において「本当に老若男女の
人々が美しいなあ」と思いながら桜月夜を楽しんでいます。

あなたの中に雅やかな一句があると、あなたの人生をとても豊かに
してくれます。

おぼろ月夜の中で、自分とは違う世界を見せてくれる。
これが文化の力です。
 
平安時代、日本では、花といえば「さくら」を指していました。
どれほど愛されてきたのでしょう。
今回の桜もぜひご覧ください。

そして歳を重ねれば重ねるほどもっと桜はあなたに語りかけてくれでしょう。

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